この日記を見た人から、この日記はつまらない風の事を言われた。確かに面白くない。その人から紹介された日記はとても面白かった。センス100だった。

 どこが違ったのかを分析してみた。自分は分析をするのが大好きだがよく外れる。

(分析パート)
 その日記は敬語で書かれていた。敬語というのはつまり、人に語りかけようとしている日記だ。この日記は最初の方は敬語だったが、親しみやすさを考えて敬語は止めた。親しみやすさが排除されたのは良いが、なぜか独白形式の暗い日記になってしまった。タメ語の親しみやすい日記を書いてるつもりが、なぜか独り言日記になってしまったのだ。

 敬語を止めた時点で、発信先が自分自身になってしまった。発信先が自分自身ならば、それはノートにでも書いて満足してれば良い。インターネットに日記を書くのに、発信先が自分自身。でも人にみられることを意識して、自分自身のことすら書けていない。このことが「つまらない日記」という印象を与えてしまったのだった。これからは語りかける日記でいきますよ!!!・・・なんか、違うなあ。

 センス100についても分析してみる。センス100というのはつまり、センスが溢れているという事だ。センスはどのような時に溢れるのだろうか。センスとは何か考えた。出た答えはズバリ、「意図を見せずに意図通り」、コレ。

 人が何かを喋るとき、書くときは、必ず心のどこかに、人を笑わせたいとか、ある事を伝えたいとか、自分の印象をこう変えて欲しいとか、何らかの意図を持っているはずである。しかしそれがバレると、相手は白ける。「ああ、この人はこういう事をしたいんだろうな。」そう思われると、その文章にセンスは無い。そこで、その意図をあえて隠して文章を書かなければならない。

 最悪なのは、「意図を見せずに意図が伝わらない」状態で、僕の文章や喋りは年中この状態に悩まされている。なんでかなあ。

 次に「意図丸出しで意図通り」がある。答案とかは、この状態が一番良いんだろうと思う。

 最後に「意図を見せずに意図通り」があると考えた。これがセンス100だと思う。書いてる段階で「この話とかって超おもしいぜー!」と考えつつも、文章にはその意図は全く出ない。だけど読み手には「この話って超おもしろい!」と感動を与える。その状態で毎日文章を書けるって凄いなあ。と思う。

(展開パート)
 まず、語り口が敬語かタメ語かは関係がない。発信先を何処に向けているかが大切である。発信先が自分自身なのは仕方がない。軌道修正不可能である。
 そして、「意図を見せずに意図通り」の日記は書けない。僕にはそれだけのセンスが無かった。

 これからは素の自分で日記を書こうと思った。

9月22日の日記

2004年9月22日 日常
 ローの人にパソコンの話を聞かれたので、熱弁をふるった。

 パソコンは基本的に大好きである。法律の勉強をしていなくても、今の自分は今の自分のままだったと思うけど、パソコンが無かったら、全く別の自分がいたと思う。

9月21日の日記

2004年9月21日 日常
2学期が始まって少し経って思うこと。特になし。聴講を2科目履修したので、思っていたより大変だった。
ISBN:409188203X コミック 松本 大洋 小学館 2003/03/28 ¥860
 漫画はあまり読まなくなってしまったが、これはたまに読んでしまう。松本大洋はマスメディアの描き方が上手い。ピンポンの時は卓球通信(雑誌)だったけど、この作品の場合はテレビだ。マスメディアが持ってる嘘くさい所を描き出すのが上手い。
 ヘルツォークがサーカスというマスメディアを使うことで、カスパーハウザーと民衆を描いたように、松本大洋はテレビというマスメディアを使って虹組と民衆を描いている・・・と、考えるのは無理があるかなあ。
DVD ビデオメーカー 2001/09/26 ¥4,935
 x51で記事になって以来、カスパーハウザーの話に興味を持っていたが、ビデオ屋に会員登録した際にたまたま見つけて、しかも監督がヘルツォークだったので借りてしまった。伝わるかどうかは分からないけど、「群集」の少なさに「中世」を感じた。それは多分、映画制作時の予算等の制約のせいだろうけど、その中世感が好きだ。あとはやはり風景の撮り方だろうか・・・。
 シナリオは聞いていたカスパーハウザー伝そのままで、特に新しい発見や解釈は見つからなかった。
 近くのビデオ屋に会員登録したのでさっそく借りてきてしまった。

9月1日の日記

2004年9月1日 日常
数少なくなってきた喫煙者と試しトラックバック。タバコはもう止めたいが・・・

8月30日の日記

2004年8月30日 日常
 さて、成績表が返ってきた。別になんともなく、これまでと同じように可も無く不可も無く(いや、可はあったが)平凡な成績だった。ただ、落とした科目が一個も無かったのは嬉しかった。思えば1学期はかなり真面目に過ごすことができた。これからもこのモチベーションを保っていく事ができれば良いのだが。夏休みボケが一刻も早く治る事を祈る。

8月12日の日記

2004年8月12日 日常
下の日記を書いてから、二週間以上が過ぎてしまった。
ロー生活最初の夏休みも半分近く過ぎてしまい、一体何をしていたのか覚えていないし、何をすればいいのか分からない。
やっと自分に合った勉強方法が見つかった気がするけど、そうでもない気もする。
とにかく内面を磨かなければ、周りの人に追いつけないと思う。あんまり他人を気にしている場合じゃないのかもしれない。

明日には帰省する予定だ。飛行機が見つかれば良いのだが・・・。

テスト佳境

2004年7月25日 日常
 嘘みたいに日記をサボり続けていたが、テストもあと残り二科目となり、気持ちに余裕がでてきたので、また書き始める。
 無理なく嘘なく本音なくが、日記を続けるポイントだと勝手に思っている。本音がない日記はどうかとも思うけど・・・。
 大学院の定期試験ということで、心配し続けていたが、意外と先生方も基本を外さずに出題してくれたので、なんとか満足いく答案を提出できている。落とすと補講が待っているので皆必死だ。

6月27日の日記

2004年6月27日 日常
秘密日記だけです。

6月23日の日記

2004年6月23日 日常
 当てられて、キチンと予習していたはずなのに、恥ずかしい回答を連発してしまった。
 なんかもうどうでもよくなってくる。周りとの差が激しすぎる。特に新卒の人と比較して差がありすぎて、悲しくなってくる。本当に悲しい。泣ける。留年したらどうしようとか、三回落ちたらどうしようとか、ネガティブ思考になってくる。
 最近ジムに行ってない。ジムに行った日によく日記を書いていたので、日記も書けなくなってきた。なぜジムに行った日には日記を書くのか、それはそれだけ余裕があったから。もう余裕が無い。

キッドナッパー

2004年6月21日 映画
DVD ポニーキャニオン 2000/08/19 ¥4,935
 多分、世界の映画史にとってはあまり意味の映画だと思うが、なぜかジャケットに惹かれて買って、ずっと持っている。
 要約すると、若い連中が悪巧みをして大金を得るという、自分にとって最高の設定の映画だ。その設定だけは昔レビューしたロックストック―に似ていると思う。別に人に積極的に見せようとも思わない映画でもある。でも何度も見てしまうなあ・・・

6月21日の日記

2004年6月21日 日常
 自分の中で勝手に水曜と土曜はジムの日にしていたが、先週の土曜は行けなかった。今日行こうかとも思ったけど、予習が大変そうだったので止めた。ガリガリと予習をやっていたら早めに終わったので、23時にならないうちに帰ってしまった。まあ、良いや。
 学部時代を考えると驚くべきことだが、1学期は今のところ皆勤である。まあ当然といえば当然か。

6月21日の日記

2004年6月21日 日常
スペインが予選で敗退していた、ギリシャめ。一回も中継見る事ができなかった・・・。

6月16日の日記

2004年6月16日 日常
 友達とチャットをする。4つのウィンドウでチャットをしていたので、大変だった。

6月15日の日記

2004年6月15日 日常
今週は予習が順調だ。休講が一コマあるから。でも後になって返ってくるんだろうな・・・それでも23時コース。もう基本が23時になったので何とも思わなくなった。

6月14日の日記

2004年6月14日 日常
 今日も自習室23時コースだった。行政法の予習に手間取ってしまった。3時間後にはフランスV.イングランドが始まるが、さすがに見ることは出来ない。でも見たい。いや、ダメダメ。でも見たいなあ。いや、ダメだ。でも見たい気がする。でもダメなような気がする。見ることもできなくはない。ダメという考え方もある。

 ・・・やっぱり寝よう。

6月13日の日記

2004年6月13日 日常
ユーロ2004が開幕した。
 週末の比較的早い夜中だったので、ポルトガルV.ギリシャを見ることが出来た。コウト兄さんが出ていたので不安が過ぎったが、不安が的中した。これからも面白い試合が沢山あるが、平日にあるので見ることは出来ない・・・とりあえず、ビデオにとって、夏休みにでも見ることにしよう。スペインV.ロシアが見られなかったのは残念だけど、ポルトガルは開幕戦だったのでしょうがないか。

6月7日の日記

2004年6月7日 日常
去年の今頃は一体何をしていたのだろう。全く記憶が無くて残念だ。毎年6月は記憶が無い。

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